〈北野勇作2本立て〉シリーズ第3弾。北野勇作が想像力の糸でつむぐ不可思議な世界へようこそ。
今回は「雨の国で」と「騒がしい夜」の2本立てです。
「雨の国で」は「映画館」「対抗策」「水洗式」「飛行場」の4作で構成された連作。
2本目の「騒がしい夜」は「橋」「月」「蚊」「船」「沼」「骨」の6作で構成されています。
ストーリーテラー北野勇作はけっして損をさせません。
400字詰め原稿用紙換算約88枚。表紙は森川弘子。
価格380円
雨の国で
映画館
旅先の映画館、二階席は満員なのに一階席には誰もいない。雨の降る古いフィルム。
やがて水音が響き……。
対抗策
石段にかけられた古い古い呪い。売り出し中の若手人気呪術師がその呪いをとこうとする。
水洗式
宿の便所はこのあたりには珍しく水洗式である。
だが、この宿の便所は違っていて、紙を流してもいい。これならば詰まる心配はないだろう。そのくらい水に勢いがあって、実際、便器の横にある真鍮のレバーを引くと、じゃぶらんどわずわあああああああ、とどんな大便であろうが紙であろうが一瞬で流れ去り、あとには何も残らない。
宿のすぐ裏手が山であり、それは遥か彼方の雪山まで連なっている。水が豊富なのはそのおかげなのだろうな。
裏山の中腹からはいつも滝のように水が噴出しており、その水を引くための木の樋が山に向かって伸びているのが部屋の窓からも見える。その水をそのまま水洗に使っているらしい。それであんなに凄まじい勢いになるのか。
だが、宿の主人によれば、そんなのは雨期の今だけで、ひとたび乾期に入ると、景気よく水を噴き出しているあの岩穴も草に埋もれてしまい、どこにあるのかすらわからなくなってしまうという。もちろん、そうなるともう紙はおろか大便すら満足に流せはしない。だからこれは雨期の間だけに許される贅沢なのだ。
飛行場
妻は誘拐されがちだ。
山羊の肉を買いに出た妻が、またしても誘拐されてしまった。
だいたい、彼女はよく誘拐される。おもしろそうなことがあるとすぐに後を付いていってしまうせいだろう。そしてそのたびに、こっちが走り回らねばならなくなるのだ。
でもあなたって、そんなことでもないと部屋に閉じこもって本ばっかり読んでるし、たまに外出して映画を観に行っても、さっぱりわけがわからん、なんだあれは、とかぼやきながら帰ってくるだけなんだから、このくらいでちょうどいいんじゃないの、と妻は主張する。つまり半分はあなたのためでもあるのよ、と。
それが正しいかどうかはともかくとして、そんな妻がまたまた誘拐されてしまったのである。
騒がしい夜
月
国境の警備員、しかし見張っているのはじつは……。
月の明るい夜で、川向こうは隣国だ。
下流に橋は一本あるが、両岸ともにその手前には鉄の門が設けられていて、もちろん許可のない通 行はできない。
このあたりなら、川幅こそ広いがもともとあまり深くはないし、雨もずいぶん降っていない。月の光で、川底の丸い石がいくつも見えている。その上にある流れも緩やかなものだ。
歩いてでも渡れるのではないか。誰もがそう思うだろう。
だからこうして見張っている。
それが仕事だ。
向こうから入ってくる者とこちらから出ていこうとする者を捕らえること。
もっとも、こんなに月が明るい夜に川を渡ろうと考える者などいないだろう。
月の光できらきらと眩しいほどの川面だ。そんなところを渡れば、対岸からでもくっきりと人の形が見えてしまう。
だからこんな夜に気をつけるべきなのは向こう岸よりも、川の中洲にあるすすきの原なのだ。
あそこには何かが棲んでいるらしい。
昔から、そう伝えられている。
そもそも、ここに国境ができたのも、そのせいだということだ。どちらからも簡単には近づくことができない何かがここにいる。それで、ここが国境になった。
蚊
特殊な蚊を防ぐ特殊な蚊帳。いったん出たら、さあ大変。
まだ問題の地区の手前ではあるが、しかしもちろんもうこのあたりには宿などなく、野宿を覚悟していたのだが、寺に泊めてもらえることになったのはじつにありがたい。
しかも、蚊に悩まされる寝苦しい夜もこれなら大丈夫、と住職は蚊帳まで吊るしてくれたのだ。
なんでもそれは、住職がいろいろと工夫してようやく作り上げたもので、このあたりの特殊化した蚊を防ぐこともできるのだという。
助かりますなあ、あのごわごわした防護服ではなく普通の寝間着で寝ることができるなんてまさに地獄に仏、ありがたいことです。
隊長が言ったから、他の者もそれに倣って、ありがたいありがたい、と住職に手を合わせた。
いやいや、これも寺の勤めです、と住職。
沼
沼ぞいの道は夜は歩いてはいけない。なぜなら……。
こんなところで日が暮れてしまった。
道の両側は闇に沈んでよく見えないが、立ち込める泥の臭いで、そこに沼があると知れる。近くから遠くから聞こえてくる蛙の声はうるさいほどだ。
このあたりはいちめんの湿地で、沼と沼の隙間にかろうじて細い道はあるが、その道にしても、何日か雨が続くとすぐに泥に沈んで左右の沼と見分けがつかなくなってしまう。
夜間は歩かないに越したことはない。
そんな忠告を受けたことを、今ここで思い出した。
だがもちろんもう遅い。それにどのみち、歩いて帰るにはこの湿地を抜けていくしかないのだ。一泊するための宿代、あるいは、この一帯を迂回するためのタクシー代などというものを会社が経費として認めてくれるはずもない。
骨
サイコロ博打は身を持ち崩す、それはけっして比喩ではなく。
人差し指の先に載るほどの小さな正六面体。その各面には、一から六までの目が刻まれている。それをテーブルの上で転がし、出る目が偶数か奇数かを当てる。ただそれだけのゲーム。
相手の姿は霧にかすんではっきりとは見えない。ぼんやりとした影の、そこが顔であり胸であり腕であるらしいことだけが、かろうじてわかる。
イカサマがないように、ひとつの賽は一回しか使わない。勝負のたびに別 の賽を使う。そしてその賽はこちらに選ばせてもらう。
最初にそんな条件を出した。今回はこちらからルールを指定するのだ。
相手は無言で、ざらざらざらと賽をテーブルの上にぶちまけた。
テーブルの上に小さな山を作っている賽。
向こうが用意してきたそれらの賽は、私の骨から作られたものだ。
そう、前回負けた私は、骨をそっくりとられてしまった。
彼らは骨だけを綺麗に抜いていった。容赦無くすべてを巻き上げる彼らの技術は驚嘆に値する。
骨を失った身で、次は何を賭ければいいのか。
それはその都度、向こうが指定する。勝負を受けるかどうかはこちらの自由だが。
積み上げられた賽の山から、ひとつ選ぶ。
もとは自分のものだった骨の欠片。