惑星と口笛ブックス

幻視の本 1 悪七夜  飯野文彦

 飯野文彦書き下ろし。怪奇幻想を愛する読者のために書かれた仄暗い短篇集が到着いたしました。

 幻想怪奇作家といってもさまざまです。そもそも幻想も怪奇も幅のある語であって、一口に語れるものでもなく、おそらく世界のどの言語でも書かれていて、そのすべてに歴史があります。しかし、通底する特徴もあって、それは優れた幻想怪奇作家は、基本的にはマイナーポエットであるということです。彼ら彼女らは個人性によって世界を解釈します。怪奇的事象、幻想的事象をもって。本書の飯野文彦のごとくに。

 怪奇幻想の水先案内人、井之妖彦の連作をお届けいたします。あるときは旅行者、あるときは引きこもり、そしてあるときは幻灯世界の王子、本作でも皆様を不可思議な世界に御案内いたします。

 400字詰め原稿用紙換算260枚。800円。

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幻視の本1 悪七夜

一夜 盆地巡り
二夜 業火
三夜 旧友来たり
四夜 自販機になった男
五夜 床下にいた
六夜 BAR樽
七夜 水晶の風


抜粋

 五夜 床下にいた

「どこから入ったの?」
 わたしは訊ねた。男はとたんに、今にも泣き出しそうに顔をしかめて、
「入ったんじゃない。閉じ込められたんだ」
 といっそう目をぎらぎらと光らせた。
「閉じ込められたって……」
 誰に? いつから? どうして?
 様々な疑問が頭をよぎり、どれを訊いて良いかわからなくなった。それで絞り出すような想いで訊ねた。
「出られないの?」
 男はうなずき、
「いいか、よく聞いてくれ。もっとこっちへ来て」
 と手招きした。
 格子があるから安全だと想って、近づいた。四つん這い姿で、二十センチほど近くまで顔を近づけて、男の様子をうかがった。鉄の棒を握る手は、皺だらけで黒く汚れ、おまけに手の甲だけでなく、指の方にまで毛が生えていた。動物園で見た、ゴリラの手みたいだった。
 顔は……目が異様なまでにぎらぎらと輝いていたこと、開いた口の奥に黄ばんだ歯が見え、それらが重なったり曲がったりした乱杙歯だったのを覚えている。だが、それなのに、全体像となると、想い出せない。ソラリゼーションがかかったようにぼやけてしまう。
 今考えると、眼光の鋭さに催眠術のような効果があったのではないか。あやふやだった子どもの意識は、わずかな間に絡め取られてしまった。単なる想い
つきではなく、ごくごく間近で見ていながら、男が鉄棒を外そうとしていたのに、まったく気づかなかった。
 そう、穴にはめてあった鉄棒の一本が、外れるようになっていたのだ。そして、わたしが息をつめながら顔を近づけたとき、男はその一本を音もなく外し、蛙を飲み込む蛇のごとき素早さで、手を伸ばして、わたしの左手首をつかんだ。
 はっとしたとき、男がにやりと笑い、汚い歯だけでなく、歯茎までが露呈した。それは桑の実を噛み砕いた後のような赤黒い色をしていた。饐えたような腐ったような臭いが、ぷんと漂ってきて、起きたまま悪夢を見ている気がした。


 六夜 BAR樽

 雨戸を閉め切ったこの部屋で、井之は日がな一日、酒を飲んでいるのです。呑みながら、きっと絶えず文章ではなく、言葉を紡ぎ出しているのです。きっとそうなのです。が、すでに井之のしゃべる言葉が、私の日常を濃霧のごとく覆い尽くしているので、言葉としては認識できません。五感を刺激する、日々の生活、というか、淀んだ空気の停滞、としか感じられませんでした。このように書くと、狭い六畳間に閉じ込められて、私が不自由な、淋しい生活を送っていたように思われてしまうかもしれません。
 それはある面で見るならば、正解でしょう。けれども、いっしょにいる間は、ほとんど不自由は感じませんでした。井之はとても優しいのです。何をするわけでもないのに、それでいて細々と私に気をつかっているのが伝わってきます。
 食事の世話は、犬がしてくれました。わずかな間に、私をここに連れてきてくれたメリ子が、小学一年生の児童くらいの大きさになり、よれよれの着物を身にまとって、健気に私の面倒を見てくれるのです。ご飯の茶碗を差し出してくれ、おかずには鯛の塩焼きが、頻繁に出されました。きっとメリ子は、鯛の塩焼きがいちばんのごちそうだと思っていたのでしょう。
 正座して私が食事を取る脇に、メリ子はちょこんと坐って、食後のデザートとして西洋なしやリンゴやオレンジの入ったカゴを両手で抱えています。私が黙っていると、赤い箪笥の前に三毛猫が現れて、義太夫を奏でてくれました。義太夫がどのようなものなのか、私は知りません。しかしそれが、義太夫だとわかるのです。
 猫は、肩が両脇に張った着物姿で、一生懸命にバチを振るって、三味線を弾きますし「にゃあううううううう」と奇妙な唸り声を上げて、それは正直、あまりうまいとも、決して面白いとも思えませんでしたが、いつしか井之の醸し出す世界の一部として、なくてはならないものとなっていました。

プロフィール
飯野文彦(いいの・ふみひこ)
一九六一年、山梨県甲府市出身。作家。一九八四年『新作ゴジラ』ノベライズでデビュー。主な著書『アルコォルノヰズ』『ハンマーヘッド』『怪奇無尽講』『黒い本』『影姫』『ゾンビ・アパート』など。『バッド・チューニング』が第14回日本ホラー小説大賞長編賞の候補となった。

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