時間はわたしたちの影
フラットな描写、簡潔な文、彩度が抑制されたスケッチ、日常の奥への探索行。
馳平啓樹はまだ批評の言葉のない新しい作家であり、日本の現代文学を体現する作家のひとりである。馳平が名前のない木のように佇んでいる場所はいったいどこなのか。
靴下、傘、タイヤなどフェティッシュ的に登場する事物、川面のようにたえず揺れる時間と想念。
第2短篇集。6作の掌篇・短篇を収録。400字詰原稿用紙換算48枚。表紙デザインは著者。300円。
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【抜粋】
靴下とコスモス
靴下を落とした。左右どちらか片方だけが手元から落下した。残った片割れを洗濯バサミに挟みながら、僕はベランダから下を覗き込んだ。青い靴下が片方だけ、ひとつ下の階の柵に垂れ下がっていた。
長い棒で引っ搔こうとした。靴下を地面まで落としてしまえばいい。棒は届かなかった。そもそも部屋にそんな長い棒はない。夏の暑い日で、夕方も風ひとつ吹かず、靴下は柵にへばり付いたままじっとしていた。
「諦めた方がいいよ」
Kは僕に言った。
「どうせ取り戻せないだろうし」
遠くで蟬が鳴いている。
「戻せたところで穿く気になんかなれる?」
二千二年の部分日食
あの頃初めて買ったメガネは掛け心地が良くなかった。安いというだけで選んだせいか。鼻の辺りがいつもツンとした。首を振ると位置がずれ、レンズはいつも白くくすんでいた。フレームは目の形にも頭の輪郭にも決して馴染まず、鏡を見るたび顔に何か変なものが混じり込んでしまったような気がした。それともおかしかったのは自分の方だったのだろうか。視力と共に何かを失おうとしていた。そんな自分を、メガネがまだ辛うじて世界と結び付けてくれていたのかもしれない。
「初めて買うメガネなんてそんなものでしょう――」
遠慮気味に交わり離れてゆく太陽と月を見上げながら真知子は言った。
「運動会でフォークダンスさせられる中学生みたい」
日食が終わると、二人で映画を見に行った。レンズの度が合っていなかったので、途中からメガネを外して観ていた。裸眼でどうにか追い掛けた最後の映画という事になる。タイトルは何だったか。原作との違いばかりが気になった事を覚えている。登場人物の性格も、特技も、家族も、瀬戸際で取った行動も、大切にしているはずの信条も、あらゆる要素が原作と異なっていた。わざとそうしていたのだろう。全て原作と同じでは展開が知れてしまう。むしろそれを望み、原作の世界観を映像でひとつずつ確かめたかった自分が取り残されてしまったに過ぎない。
自分一人がちぐはぐだったに過ぎない。
「また今度、本を貸してよ」
帰り道、慰めるような声で真知子が言った。
「あのピースっていう人、本では最後にどうなってしまうの?」
【収録作品】
エッフェル塔の傘
靴下とコスモス
プラネタリウムのTシャツ
車を取りに行く
Ctrl+S (書き下ろし)
二千二年の部分日食
プロフィール
馳平啓樹(はせひら・ひろき)
小説家。第百十三回文學界新人賞受賞。
単著は『かがやき』(水窓出版)を令和元年に刊行。
接続詞を挟まない一人称視点の短文を好む。
ウェブサイト『馳平啓樹note』にて短編小説を公開中。