少年時代の記憶をつづった「ごめんよシロー」は以下の文からはじまっている。
「悠一はどこにでもいる平凡な男性同性愛者である」
収録作中の同性愛が重要な要素になっている小説にかんして言えば、この文が樋口芽ぐむの特性をよく表しているかもしれない。
同性愛を扱った小説というものは一般にあるときは同性愛の扱いが冷たすぎるし、あるときは熱すぎる。
感情的なピークを中心に描きがちなのである。そしてそれはもちろん偏向を呼ぶ。
一方、樋口芽ぐむの同性愛小説は常温に近い。「どこにでもいる平凡な男性同性愛者」たちのための作品なのである。樋口芽ぐむはそうしたやりかたを採用したことによって、同性愛小説全体を少し前に進めるのではないだろうか。
「バナナ」「昇天」は生のうちに生じた不可思議な出来事、感覚を語る。
「ごめんよシロー」「初恋」は記憶に語らせる形式の佳篇。
タコヤキとフェルナンド・ペソアが同居する「タコヤキ屋」、中島敦の「山月記」インスパイアドの「裏山月記」は、樋口芽ぐむの文学的興味のありかを示している。
「発生」で淡々と描かれるのは人類滅亡後のひとりの男である。
「島影」と「線香花火」にはゴーストストーリー的テイストへの指向も垣間見える。
「ギャルソン」は寓話的である。小さな町で、詩や、絵や、音楽や、時間などが人の姿を採る。主人公のギャルソンの名は「ヒカル」、町にやってきた男の名前はD。Dとはいったいなんの略なのか。「Dark」「Destiny」「Death」……。
樋口芽ぐむはまだないタイプの小説を書くためにやってきた。いまちょうどスタート地点に立ったところである。
全10作。400字詰め原稿用紙換算約170枚。表紙は Jonathan。
価格600円。
抜粋
タコヤキ屋
太いごつい筆に似た油引きを使って、業務用タコヤキ器に、ひょいひょいとラードを塗ってゆく。まな板ほどの大きさ、穴あり三枚穴なし三枚、計六枚の鉄板が熱くなりすぎないよう中火に調整してあり、六十年代にヒットを飛ばした男性シンガー、ルー・クリスティの「魔法」をメイビメイビメイビメイビーと無意識に口ずさみながら、タコヤキ屋は「分からんな。フェルナンド・ペソアは分からん」と考えている。
ギャルソン
ヒカルはギャルソン、きりっとアイロンを掛けた真っ白なワイシャツに黒いネクタイを結び、しっかりプレスされた黒いスラックスと黒光りする革靴を身につけて、店のイメージカラーであるモスグリーンのエプロンを腰に巻き、朝から晩までカフェで働くギャルソンです。
毎朝訪れる独身で中年の仕事に生きる女性は、エスプレッソをすすり読んでいる新聞からちらりと顔をあげて、水気の少ない金色の髪をかきあげながら、犬みたいねと、いつもヒカルを微笑ましく見ます。
ヒカルは背が高くありません。やせてはいないけれども、太ってもいません。実際、生きている事それ自体が愉しくて仕方ない仔犬に似た眼をきらきらと輝かせて、栗色の髪をソフトモヒカンに立てて、シルバーの盆を片手で操りながら軽やかに広くはないフロアを歩きまわり、だれの心も溶きほぐす笑顔を向けながらオーダーを取り料理を運びテーブルで会計を済まし、時に談笑し、ギャルソンという職業は彼の天職なのでした。