温泉と文学と怪異。英文学と怪奇小説の優れた翻訳者にして第五回ファンタジーノベル大賞受賞者、そして中華料理愛好家、温泉主義者としても名高い南條竹則の温泉エッセイが電子書籍で復活。
恐山、鉛温泉、那須湯本温泉、和倉温泉、修善寺温泉、宮澤賢治、岡本綺堂、泉鏡花、温泉の醍醐味、不思議などを筆の赴くままに語る名エッセイ。電子版あとがき付き。
「まえがき」より
じじつ、古い湯治場は、たいがい何らかの形で信仰と結びついている。湯町には湯神が祀られ、共同浴場の入口や風呂場に仏像などを祀ったところもある。端的な例として、山形県の今神温泉では、湯客は白衣を着て神仏に病の快癒を祈りながら湯につかるのだという。
自分は俗っぽい人間なので、そこまで殊勝なことはやらないが、それでも湯治に行って何となく霊妙な空気を感じたことはある。それから、ごく稀にだけれど、怪しい体験もした。そんな温泉の印象記を書いてみようと思い立った。
そのうち、お湯に浸かりながら頭に浮かんできた色々な空想だの、温泉地にゆかりのある好きな作家のことなども書きたくなったので、それらも足して気の向くままに綴っていたら、こんな旅行記とも温泉文学案内ともつかぬ 、ヘンなものになってしまった。
仕方がない――お湯の霊気が、自分の場合はこんな風に凝ったのだ。ちょっとヘンな気分で温泉に浸かりたい人の参考にでもなれば良いと思っている。
「台、花巻、鉛温泉」より
自分は自炊といっても、飯は炊いたことがない。泊まる時帳場に頼んでおくと、日に一度、あるいは二度、炊きたてをわけてくれる。自分は毎日、夕方五時になると、空の丼を持って配膳室に御飯をもらいに行く。あとはおかずだけ整えれば良い。売店でパックの蜆の味噌汁、鉄砲漬けや鰯の缶 詰、卵豆腐などを買う。日頃の肉食生活とは大いなる違いだ。
お湯を沸かすには、部屋にガス焜炉がある。十円玉を穴に入れると、何分間か火がつく。大体、その時間で薬缶 一杯のお湯が沸くようになっている。しかし真冬に自炊したときは、部屋の水道が凍りついて水が出ず、いちいち調理場まで水を汲みに行くのが面 倒だった。
自炊部の良いところは、何といっても、朝御飯に起こされないで済むことだ。寝たいだけ寝ていられる。
東京ではしばしば睡眠不足がちな自分は、ここに来て飯も忘れ、お風呂も忘れ、原稿の締め切りなどとうに忘れて、どうどうと流れる豊沢川の音を枕に眠りを貪っていると、ある日、夕刻にアナウンスが流れた。
「本日、豆まきをいたしますので、七時に各自部屋の戸口に出てください」
400詰原稿用紙換算約310枚。
価格700円。
本書は2001年に同朋舎から発行され、角川書店から発売されたホラージャパネスク叢書『幻想秘湯巡り』を改稿した上、加筆したものです。