惑星と口笛ブックス

パラジソ 橿原令

独自進化型近代文学をどうぞ

 小説は直線的に進化あるいは変化していくわけではありません。ひっそりと独自の進化をとげる場合もあります。普段通らない道を通ったらそこには思いがけない空き地があり、草が深く茂るそこにあるのはこことは違う生態系かもしれません。
 介護施設で起こるサイキックの静かな噴出を描く「パラジソ」、林芙美子などの系譜にあることを仄めかす「三叉路」、幻滅と奇妙な楽観の入り交じった家電小説「かいぼり」。全体に漂う苦さはアイルランドのウィリアム・トレヴァーを思わせます。
 八作収録。表紙は与。価格は700円。


作品抜粋

「パラジソ」

 わたしは老婆たちの各々の部屋に飾ってあるクリスマスプレゼントだった手作りの折り紙を壁からはがして集めました。秘密離に行うためにわたしはテラス席に行き、誰もいないのを確認すると意識を集中しました。キクさん、フミさん、ミエさん、シマさん、マサ子さん、それぞれの老婆たちが作った小さな手作りの折り紙をテーブルに置き、いつもの老婆たちが座るテーブルの席順と同じように円陣を組みました。円陣の真ん中には家から持ってきたメイさんの折り鶴を置きました。すると老婆たちがいなくてもリビングと変わらない集会の姿がテーブルの上に浮かび上がったのです。リビングに全員が集まらなくても集会を開くことが可能になった。いいえ、方法はすでに知っていたのかもしれません。形を作ることはすぐに自然にできました。わたしにも集会をはじめる力があったのです。備わっていたと言うよりもいつの間にか育っていたのでしょう。メイさんの回復のために老婆たちの意識を一点に集め、メイさんに注ぎました。

「三叉路」

 会わないほどに余計に会いたい気持ちがつのった。その気持ちが通じたのか突然、山崎が家にやってきた。私は不動産屋のことが気になり、こんな時に来てはいけないと玄関に押しとどめた。山崎が言うには親の決めた意に沿わない許嫁がいる。その相手から逃げるために転々と住居を変えていたが、なぜかその相手にあなたのことがわかってしまったのだ、と苦しそうに喘ぐ。許嫁の名は日傘の名前と同じだった。
 一緒に逃げてくれませんか? と山崎は私に問うた。切羽詰まった口調だった。その問いに私は答えられなかった。ふたりで逃げるほどの勇気がなかったのだ。そのあと後悔にさいなまれることも知らずに。家から家へ売られてきた私には外界に出たことがない。
 黙っている私に山崎は寂しそうに微笑んだ。その一言がどれほど決心のいるものなのかを理解していなかった。ふたりで逃げることのできた妹はあれでいて強い女だったのだ。

「かいぼり」

 伊勢屋の扉を開けると、いつもと同じように仲谷が梅干しをつついていた。特に会話らしい会話はない。少し飲んでから商店街を流した。デパ地下に向かい、夕食の弁当を物色した。とくに何か買う気もほんとうはないのだ。
 結局、もう一軒寄ってからうちに戻った。
 めずらしく深酔いした仲谷は上がり込むなり、わたしをベッドに連れ込んだ。触れた唇からナンプラーの味がした。わたしは何もいわなかった。
 その夜の仲谷はきのう池で見かけた外来魚のようだった。処分されるものが知っている抵抗。迎え来る朝に抗うように激しく動いた。ギラギラとしたウロコがたしかに湧いて見えた。それは仲谷が隠していたはずの本当の姿だった。
 夜が明けるころ、ジェネアマ冷蔵庫が静かになっていた。中に入っていた牛乳はまだ冷たさを残していた。きのうは大きな唸りをあげて動いていたはずの冷蔵庫とのことばのない信頼関係はもう終わりだった。冷蔵庫の中身を取り出し、特大のゴミ袋に次々投げ込んだ。どれもこれも食べることは絶対に無理だった。冷蔵庫のドアポケットにはわけのわからない液体が大きなシミを刻んでいた。ドアポケットから投げ込まれた瓶は音をたて、いくつかは割れて液体が流れ出した。どれもこれも冷蔵庫の飾りになっていただけだった。冷凍庫の中の残骸も次々に投げ込んで袋ごと集積所に放り投げた。ゴミ袋から混濁した液体が染み出していた。
 何かが終わりを告げるときは一度にやってくる。
 ネットワークはわたしにすべての終わりを告げた。


収録作品
「パラジソ」
「三叉路」
「こえのたる」
「ディープ・レッド」
「なだれとクロール」
「かいぼり」
「ハウス」
「こめびつのかみさま」

プロフィール
橿原令(かしはら・れい)
本書で小説家デビュー。ブンゲイファイトクラブ第一回・第二回出場。東京都在住。
会社員生活を経てフリーランス。世相の変化、喪失、慈しみをテーマに執筆活動を続ける。


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