『ななつの娘と夜の旅』の第2作「水の巻」である。収録は4作。
「第五夜 水ハナクトモ」は、娘との散策中に男は、これまで知らなかった路地の存在に気づく。北野勇作の作品に時折現れる存在論的「恐怖」が鮮やかに、そして深く描かれる。
「第六夜 ゾンビの夜」
娘が「こんな夜は出歩かないほうがいい」と言いだしたので、男は理由を訊く。ゾンビが出るからだと言う、ゾンビか、と男は少し落胆する。「ヒサエちゃんが見た」と娘はなおを主張する。そして結局でかけたふたりが見るものは……。ゾンビと観念論と北野勇作の融合。
「第七夜 甲羅がある」
夜の川、河川敷を覆い隠す無数の甲羅、実況するアナウンサー、それを金属の道具で拾う男たち。甲羅の奇妙な祭典。
「第八夜 続・ゾンビの夜」
ゾンビはさらにほかの観念と結びつく。人間を8分の1にする宗教、キョンシー、紙のゾンビ。ふたりの前に建物が現れ、そこから音が聞こえてくる。「きっとんぱととん、かんこらからから。きっとんぱととん、かんこらからから」。
不可知で不穏で、夜しかない世界へようこそ。帰れなくなっても申しわけないですが責任はとれません。
抜粋
第五夜 水ハナクトモ
今までそんなものがあることには気がつかなかった。だからもちろんそこは、まだ歩いたことのない細い路地だ。
男は昔から、なぜかそういう入り組んだ小さな路地が好きだった。この方向からすると少し行けば、商店街の入口から家のほうへと伸びている通 りと合流するはず。
男はそう思い、娘の背中に声をかける。
おおい、今日はこっちへ行ってみようぜ。
えーっ、と不満げな娘。
たまにはいいじゃないかよ。いつもはお前の行きたいほうにばっかり行ってるだろ。
行きたいほうに行ってるんじゃなくて、散歩をしてるんでしょっ。
娘はいったんふくれたが、それでも男の後をついてきた。
その路地への入り口は、アーケードを支えている柱のちょうど真裏にある。もう何度も通 っているのに、気がつかなかったのはそれでだろう、と男は思う。しかし、なぜ今夜に限って気がついたのか、というようなことまでは考えなかった。
第六夜 ゾンビの夜
両側にあった家の形の影が切れると、遠くに小さな灯がいくつも見えた。
いつのまにかだいぶ高いところにいるらしい。そうでなければ、こんなふうに家々の灯を見下ろすことはないはずだ。しかし坂とか階段を登ったりしたっけ、と男は首を傾げる。まあこのあたりすべてが台地の斜面 なのだし、おまけに入り組んでいるから、知らないうちに思った以上に高いところに来ていたりするのは珍しいことではなくて、つまり今もそうなのだろう、と納得だけはしてしまう。
ほら、あそこ、と娘が斜め下を指差す。
まるでそこだけが舞台に組まれたセットのように闇から浮かび上がっている。雲間からの月の光が、スポットライトのようにそこだけに射している。そんな風に見えるのだ。
第七夜 甲羅がある
テレビの中では、作業服を着た人々が河川敷を歩き回っている。
いやー、これだけの甲羅がこれほど大量にまとまって、というのは私も初めてですねえ。
誰かがインタビューに答えている。
へー、と娘はアナウンサーの言葉にうなずく。ほらほら、甲羅がいっぱい見つかったって。
甲羅が?。
首を傾げながら、男はつぶやく。
もっと詳しい説明を、と男が思ったときには、もうすでにニュースは次の話題に移ってしまっている。
第八夜 続・ゾンビの夜
説明によると、そのゾンビというのは、手に載るくらいの身長なのだという。このくらいっ、と娘は自分の手でそのゾンビのサイズを示す。
ゾンビのフィギュアみたいな感じだよ、と娘は言う。いや、フィギュアっていうより、バービー人形かな。
なるほど、うまいこと言うなあ、と男はうなずく。それはわかりやすい。模型だとすれば、何分の一になるのだろう。
『1/8計画』
ふいに、そんな単語が男の頭の中に立ち上がった。そうだそうだ、ずいぶん昔、そんなプロジェクトがあった。子供の頃だ。
おれがこいつと同じくらいの頃かな、と男は娘を見て思う。
けっこう評判になったはずだ。何もかもをそのサイズにすることで、食料問題やエネルギー問題をはじめとするあらゆる危機を乗り越えられるだろう、とかなんとか。
今から思えばあれは、計画と言うより思想みたいなものだったのかな。
その計画の実行による「世界の救済」を教義に据えたカルト教団があって、あの頃、その教祖や幹部などがテレビにもよく出ていた。
400字詰め原稿用紙換算約120枚。表紙は森川弘子。
価格300円。