
妖精のさきわうところ
ヴィクトリア朝はフェアリー・テールの黄金時代で、たくさんの名作が誕生した。なぜこの時代に妖精が登場する物語が多く書かれたかについては、エドガー・テイラーによるグリム童話の英訳の影響や、産業革命への反動といったことが指摘されているが、この時代に確立したイメージは現代の妖精像にいまだにくっきりと影を落としている。
我が国におけるヴィクトリア朝のフェアリー・テール紹介はそれ自体にも長い歴史があるが、本書は21世紀の視点から見た最新の傑作集であり、フェアリー・テールの愉しさと思索性が横溢するものとなっている。
収録作家はイーディス・ネズビット、ローレンス・ハウスマン、フランク・R・ストックトン、スーザン・クーリッジ、ジュリアナ・ホレイシア・ガティ・ユーイング、フォード・マドックス・フォード、ジョージ・マクドナルド、編訳は中村久里子、訳はおおつかのりこ、菊池由美、田中亜希子、森下綾子。
400字詰め原稿用紙約360枚以上(解説含む)。表紙はフローレンス・ハリスン。850円。
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あとがき(抜粋)
中村久里子
ヴィクトリア朝(英国ヴィクトリア女王統治時代である一八三七年~一九〇一年)には、数多くの妖精物語やおとぎ話が生まれた。それまでの教訓的な話とは違う自由で豊かな発想による物語は、子どもたちに広く受け入れられ、やがてファンタジー文学へと発展し、年代を越えて多くの読者に愛されるようになった。妖精物語は、現実にはおこりえないできごとを描きながらも、日常の生活の場から通じた空間が舞台になることも多い。幻想の世界へのあこがれをかきたてられる一方で、登場人物が妖精や魔法使いや空想上の存在とどう向きあうかに、実際の人生の問題を重ねることもできる。妖精物語には、そうした多層的な魅力がある。
「王子と二匹の鼠と台所女中たち」(抜粋)
イーディス・ネズビット 田中亜希子訳

王子は成長するにつれ、たいそうハンサムで勇敢になった。恐れるものはなにもない。ただ猫だけは苦手で、もちろん実際に目にすることはなかったが、しばしば夢に見ては悲鳴とともに目を覚ました。また、王子はとても聡明で善良だった。そのため、父王の治める国が世界でも類がないほどすばらしかったこともあり、他国の姫たちはお妃に気に入られて台所女中になろうと競いあった。みな、いつか王子さまに見初められ、ひょっとしたら結婚できるかもしれない、と希望をいだいていた。
王子はというと、身分の高い台所女中の全員ととても仲良くなったが、そのなかに愛しく想う相手はひとりもいなかった。といっても、それはある日、台所塔の窓の奥に、あるひとの顔を目にするまでのこと。緋色のスカーフで束ねたかがやく髪。活き活きとしたおもざし。一瞬でその顔は引っこんでしまったが、王子はたちまち心をうばわれた。
「鷺の物語」(抜粋)
ローレンス・ハウスマン 森下綾子訳

妖精はすぐに片側の壁一面が鏡になっている大きな部屋を作らせた。反対側の壁には高い位置に窓が並び、そとの世界の美しい景色、木々や野原、太陽、月、星、近くを飛ぶ鳥たちが鏡に映るしかけになっていた。窓から王女が直接そとを眺められないように、窓には覆いが取りつけられていた。覆いのある部屋に移された幼い王女は、鏡を眺めて、そとの世界の美しいものに少しずつ親しんでいった。覆いの向こうにいる母親の顔が鏡に映るのを見て、王女は母親を無邪気に愛し、慕うようになった。言葉を覚えるころには、すばらしく聡明な子どもに成長し、大人たちの話を聞いて、生き物を鏡に映る姿ではなく、じかに見ることが自分の身にどのような災いを引き起こすかもすっかり理解していた。
「グリフィンと正直な副牧師」(抜粋)
F・R・ストックトン 中村久里子訳
さて、町から遠く離れて知る人もほとんどない、気味の悪い荒れ野の真ん中に、本物のグリフィンが暮らしていた。その姿は、教会の扉のうえの奇妙な石の像にそっくりだった。彫刻家はおそらく、なにかのおりにこのグリフィンを目にすることがあったのだ。そして記憶をたよりにその姿を石に彫ったのだろう。グリフィン自身は、そんなことなど知るわけもない。それから数百年がすぎて、鳥か、野生の獣か、あるいはなにかはわからぬつてにより、グリフィンは遠い町の古い教会に自分によく似た石の像があるという話を耳にした。そうはいっても、グリフィンは自分がどのような姿なのかは知らなかった。鏡など見たことがないし、水に姿を映そうにも、近くの川はいっときも静まることなくごうごうと激しく流れるばかりで、のぞきこんでもなにも見えない。それにこのグリフィンは、わかっているかぎりグリフィン族最後の一頭だったため、仲間の姿を見たこともなかった。そういうわけで、石像の話を聞いたグリフィンは、はたして自分はどんな姿をしているものかとひどく気になり、ついにはその古い教会へいって自分の目でたしかめてやろうと決めた。さっそくわびしい荒れ野をたち、かなたを目ざして飛んでいくと、やがて人間たちが暮らす地が見えてきた。地上では、空に大きな怪物があらわれたとたいへんな騒ぎになっていたが、グリフィンはかまわずまっすぐ飛びつづけ、ようやく石像の教会がある町のはずれに到着した。時刻はもう夕方近くで、緑の草地に降りたったグリフィンは、川岸で体を休めた。かれこれ一世紀以上ものあいだ、こんなに長い時間を飛びつづけたことはなかったので、大きな翼もすっかりくたくただった。
「ふたつの願い」(抜粋)
スーザン・クーリッジ 田中亜希子訳
「朝になっても起きなくてよければいいのに。一日じゅうごろごろしていたいなあ」というのが、毎朝ピエロットが最初に願うことだった。
一方、ピエロが最初に願うのは「ピエロットがこんなにお寝坊じゃなかったらいいのに。そしたらお日さまが出る前に出かけて、ブレーズの家の子たちがまだベッドでぐうぐう眠ってるあいだに、草っぱらのきのこを全部とってやるのに」。
そのあと朝食ではピエロットはいつもこう言った。
「お姫さまだったらいいのに。つまんないポリッジの代わりに、コーヒーと白パンのおしゃれな朝食を食べるの。ポリッジなんてもうあきちゃった。ぜったいコーヒーと白いパンのほうがいい。ずっといいにきまってる!」
けれども、そう言っているあいだじゅう、ピエロットは「つまんない」ポリッジを最高級のモカコーヒーのようにせっせと器から口までスプーンで運び、あっという間にのどの奥へと送りこんだ。そして実際にピエロットはポリッジをおいしくいただいた。想像では、そうではないことになっていたのだけれど。
「魔法使いの贈り物」(抜粋)
J・H・G・ユーイング 中村久里子訳
「ぼくと同じ年頃で同じ男の、忠実で思慮深い世話役がいたらどんなにかいいだろう」
王子がそう口にしたその日のうちに、王子の従者を務めたいという高貴な若者があらわれた。たいそう優れた若者だったため、その申し出は受けいれられることとなった。いっぽう老婆は城を出ていき、その後二度と姿を見せることはなかった。
若い従者はたいへんよく役割を果たした。王子からの信頼も厚く、どのような助言も素直に聞きいれられた。けれどもついにある日、王子は友である従者の助言にいらだって癇癪を起こし、考えるより先に声をあげてしまった。「ああ、頭がおかしくなる。いいかげん、説教はやめてくれ。そんな舌など、永遠に動かなくなってしまえばいいのだ」
その瞬間、従者の舌は動かなくなり、いっさい話すことができなくなった。魔女である老婆とはちがい、従者には王子の贈り物の力が働くのだった。
王子は深く悲しみ、果てしなく悔やんだ。「大事な人たちに不幸をもたらすばかりで、まるで呪いではないか。ほんとうならぼくなんて、人間社会を追われて、どこかの荒れ野で野生の獣と暮らしたほうがいいのだ――なんとしても名付け親を見つけだして贈り物を取り消してもらわないかぎり、ぼくの未来に希望はない」
「妖精の輪のなかのフィドル弾き」(抜粋)
J・H・G・ユーイング 田中亜希子訳

ふたりは農場にむかって出発した。フィドル弾きはフィドルを片手にもち、市場での買い物の包みを小脇に抱え、男の知らない変わった歌のさわりをあれこれ口ずさんだ。月がふたりの影を短い草の斜面に投げかけるようになり、やがて影はストーンヘンジのように長くのびた。
とうとうふたりは丘を越えた。月が出ているというのに、妖精の輪のあたりはまっ暗に見えた。男は祈る思いで無事に通りすぎようとした。ところがふいに、フィドル弾きがマントをはずして男につきだした。「もっててくれないか。用事があってね。やつらに呼ばれてるんだよ」
「なにも聞こえないぞ」男が言いおわらないうちに、フィドル弾きは姿を消していた。大声で呼んでみても、返事はない。先に行こうかと考えはじめたとき、「受けとれ!」と言うフィドル弾きの声がして、妖精の輪のほうから男に包みが飛んできた。フィドル弾きが運んでいた、市場での買い物の包みだ。
フィドル弾きのティムが、つづけて言った。「そいつが邪魔でね。まあ、その、ダンスをしてるんだ。なあ、こっちへ来いよ。いっしょにどうだ?」
「空を翔ける女王さま」(抜粋)
F・M・フォード おおつかのりこ訳
こうして女王は薔薇のアーチから出ていって、最初の試験飛行をした。
「はじめはちょっとだけ飛んでみよう」女王は言って、軽く跳ねた。とたんに体が宙に浮き、薔薇のしげみを飛び越え芝生にふわりと降りたった。まるで馬に踏まれそうになったハトが、意を決してひらりと飛びのいたかのようだった。
「よし、うまくいった。教えてもらった秘密はほんとうだったみたい。さてと、少し練習して、それから世界を見にいきましょう」
そこでまず低い木を跳びこえ、だんだんに高い木を試していくと、ついに町の家々の赤い屋根が目に飛びこんできた。女王は勢いをつけて白い壁を越え、反対側の道路に降りた。
「こんちは」外の世界の空気に慣れるまもなく声がした。「こんちは。あんたどっから落っこってきた?」
「落ちたのではありません。飛んだのです」女王はおごそかに言うと、男を見た。
男は壁に背中を預け、地べたにだらりと座りこみ、じりじりと照りつける日差しを受けていた。ぼろをまとい薄汚れて、靴も靴下も履いていない。わきに置いてある籠を見ると、中に敷いた白い紙からこぼれるほどわさわさと、若いワラビが顔を覗かせている。
「あなた、どなた?」女王はきいた。目を落とせば、男の裸の足があり、すると朝の摂政との会話を思い出した。「あなたは貧乏人さんね。わたしの靴下が欲しいのでしょう」
「あんたの靴下のことはわからねえな、お嬢さん。だけどよ、古着が余ってるなら持ってくれば、鉢植えの花と交換するぜ」
女王がきいた。
「それであなたに、なにかいいことがあるの?」
男がこたえる。
「売って金にするんだよ。おれはな、腹ぺこなんだ」
「なら、なにか食べれば?」
「買う金がねえんだよ」
「どこかからお金を持ってくればいいでしょう?」
「それじゃ盗みになる。盗みは悪いことだ。そのうえ監獄に放りこまれる」
「なんだかよくわからないけれど、それなら、いっしょにどこか食べもののある所に行きましょう。そうすれば、好きなだけ食べられるもの」
「黄金の鍵」(抜粋)
ジョージ・マクドナルド 菊池由美訳
眼下に見えるのが草原なのか、それとも波ひとつない大きな湖なのか、ふたりには区別がつかなかった。見たこともない風景だ。細い道は危険でおりるのがむずかしかったが、なんとか下までたどりつくことができた。そこに広がっていたのは、明るい色のなめらかな砂岩だった。ところどころもりあがっているが、おおむね平らである。正体がわからなかったのもむりはない。岩の表面は、どこもかしこも無数の影でおおわれていたからだ。まるで影の海だった。ほとんどは、ありとあらゆる美しい形の葉影だ。音も動きもないそよ風のいぶきをうけて、影は前後に波うち、浮かんでは震えた。周囲の山肌に林はなく、木は一本もないというのに、谷間をおおいつくしているのは、ありとあらゆる木々の葉と枝と幹の影だ。葉の影にまじって、花の影も目にとまった。ところどころに、くちばしをあけ、のどをふくらませて歌おうとする鳥の影も見えた。ときどき、奇妙で優雅な生きものが影の幹をのぼりおりし、枝を走って、風にゆれる葉影に消えた。歩いていくうちに、ふたりは美しい影の湖にひざまでつかっていた。影たちは、ただ地面をおおうだけでなく、まるで闇が形をとったかのように、無数の層となって積みかさなっていたからだ。モツレとコッケはしきりと顔をあげて、影がどこからやってくるのかを見きわめようとした。けれども、遠い山々の頂よりも高いところには、明るい霧が広がっているだけだ。霧を背景にして、山なみはくっきりときわだって見えたが、森も、葉も、鳥もいなかった。
纂者・翻訳者 プロフィール
おおつかのりこ
福島県で生まれ育つ。訳書に『じぶんのきもち みんなのきもち』(サラ・オレアリー文/チィン・レン絵/あかね書房)、『レイチェル・カーソン物語 なぜ鳥は、なかなくなったの?』(ステファニー・ロス・シソン作/西村書店)著書に『感染症と人類の歴史』(池田光穂監修/合田洋介絵/文研出版)などがある。子どもの力の信奉者。みんながイマジネーションの翼で空を翔けてほしいと思っている。
菊池由美(きくち・ゆみ)
大阪府在住。通信会社、旅行会社勤務などを経て翻訳をはじめる。
主な訳書に『ミューズと芸術の物語 下』(ルース・ミリントン作/原書房)、『ダーウィンと進化論』(バーナード・ストーンハウス/玉川大学出版部)、共訳に「アンドルー・ラング世界童話集」(アンドルー・ラング編/東京創元社)など。子どものころからファンタジーとSFが大好きで、言語と物語の力を信じている。
田中亜希子(たなか・あきこ)
翻訳業。読み聞かせの活動もしている。
主な訳書に「アンドルー・ラング世界童話集」(アンドルー・ラング編)、『目覚めの森の美女』(ディアドラ・サリヴァン作/以上、東京創元社)、『詩人になりたいわたしX』(エリザベス・アセヴェド作/小学館)、「おちゃめなふたご」シリーズ(イーニッド・ブライトン作/ポプラ社)。
中村久里子(なかむら・くりこ)
福岡県在住。翻訳業。主な訳書に『国を救った数学少女』(ヨナソン作/西村書店)、『シートン動物記』(小学館)、共訳に『ネイサン・チェン自伝 ワンジャンプ』(KADOKAWA)、「アンドルー・ラング世界童話集」(東京創元社)など。ライフワークはブラインドマラソン伴走、趣味はフィギュアスケート観戦(とくにアイスダンス)。
森下綾子(もりした・あやこ)
東京都在住。金融機関在職中に翻訳に興味をもち勉強をはじめる。
趣味は読書とピアノ。










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