
人の暗い熱、ノアールのかすかなエコー、大型作家はゆっくりと登場する
工場で働きながら演劇をつづけるアマチュア俳優の池内は、ある日、すこし変わった新人の信組(のぶくみ)からもうけ話を持ちかけられる。それはギウダという宝石にかんする話で、にわかには信じがたいものだった。しかし信組が実際に所有するギウダを目にし、そして手にいれた経緯を聞くうちに、池内の心のなかには抑えがたく興味が広がっていく。
敗れつづける者たちの眼路の果てで光るギウダ。鬱屈、欲望、人の翳り。
大きな作家、重い階級の作家はゆっくりと登場する。本作は今後書かれるはずの豊穣な作品群の最初のものである。
表紙イラストは路肩よわし、表紙デザインは浅野春美。400字詰め原稿用紙換算約120枚。450円。
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抜粋
「なんだ、それ」
「何だと思います?」
池内はそれを凝視した。照明のもとで、二つの石が鈍く光っていた。どちらも親指の頭より一回り大きい。半透明の氷砂糖のような質感だ。透明度は右側の石のほうが高く、青みがかっていた。左はぼんやりと光っている感じだが、右はもっと明るい。まるで内部から光を発しているようだ。
「宝石?」
「の原石で、ギウダといいます。日本ではあまりなじみがないですが、ジュエリーの世界では有名です」
「二つとも、同じなのか」
「ええ。手に取ってみませんか」
「ずいぶんと違うな」
指でつまんで観察した。透明度の違いははっきりとわかるほどだ。
「白っぽいのを加熱処理すると、池内さんが持ってるやつみたいに透明さが増すんです。加熱した石をカットするとサファイアになる」
石を落としそうになる。息をひそめて質問した。
「ギウダだと言ったよな。じゃあこれはサファイアの偽物なのか?」
「サファイアとギウダは、双子の兄弟みたいなものです。たとえて言うなら同じ遺伝子なんだけど、育った環境が違う、みたいなものです。サファイアはマグマによって熱され、ゆっくり冷えて結晶が育ちます。それに対してギウダは熱される時間が少なくて外見が違ってしまったんです」
「わかりやすく言ってくれ。つまり、どういうことだ」
「本物です。本物のサファイアですよ」
プロフィール
吉美駿一郎(よしみ・しゅんいちろう)
作家・活動家。第1・2・6回BFC出場。第2回かぐやSFコンテスト大賞受賞。中訳版が〈科幻世界〉掲載。SFアンソロジー『新月』に「盗まれた七五」収録。第三十四回市民文芸ひろしまエッセイ・ノンフィクション部門にて三席入賞。