第12回日本ファンタジーノベル大賞優秀賞『仮想の騎士』でデビューし、大森望編のアンソロジーのシリーズ 『NOVA』で熱心な読者を獲得した作家の待望の第1短篇集。『SFが読みたい! 2020年版』の2019年国内ランキングで22位。
斉藤直子は稀代のユーモア作家である。似た作家は存在しない。空前の書き手である。斉藤直子の作品を好むか好まないかは、じつはどうでもよい。この作家は読者の好悪を越えて、山や川のようにそこにありつづけ、読むものを脱力しつづけさせるはずだ。
収録作は短篇が6作。いずれも「先輩」と「僕」が登場するので連作とも言えるだろう。
「ゴルコンダ」は先輩の彼女がある日、28人に増えるという話である。「僕」はヤカンを持って、28人に増えた恋人と結婚して郊外に新居を構えた先輩を訪問するのだが……。
サポートセンターに回された「僕」をめぐる怪を描く「禅ヒッキー」。
「僕」の開発したアプリが巻き起こす騒動「ティルティ・テイル」。
スラップスティックな展開のなかに、一瞬背筋を凍らせる瞬間を擁する「1ミリの彼女」。
会社ファンタジー「ミスミスレニアス」。三つの願い譚の最新の解決である。
20世紀の少年少女カルチャーのフェスのような「妖精ディストリビュータ」。
そして縦横無尽の修辞力を惜しげもなくふるう圧巻の中篇『草冠の鬼』は実在の剣道家山本忠次郎を主人公にすえた痛快無比かつ洒脱な明治ものである。読者はここに歴史小説あるいは時代小説の一流の書き手を見出すはずである。
400字詰め原稿用紙換算360枚
価格300円。
抜粋
ゴルコンダ
――梓さんになりかけの繭のようなものが地下から発見されたとかですか?
僕が言うと先輩は、そんな展開のほうがある意味楽だったかもなと言った。28人で帰宅したあと梓さんたちは、
――普通にカレーを作り始めた。インスタントコーヒー入れるとコクが出るって本当かなあとか言いながら
28人の梓さんは、28人いるということ以外、1人だったときの梓さんと何ら変わるところがなく、先輩は、もしかして今まで彼女が1人だと思っていた自分のほうがおかしいのではないかとしばらく苦悩したそうだ。
――本人に……どの本人に訊いても、ただ不思議そうに俺を見るだけなんだよな
先輩は溜息をついた。
――たぶん俺達が、どうしておまえは1人なんだと訊かれるようなものなんだろう
その後、先輩は梓さんの実家に探りを入れに行ったり、親戚や幼馴染みに会ってみたり、いろいろな調査活動をこころみた。そのうち、遠いのにマメに訪ねてくれる今どきめずらしい好青年だとえらく気に入られ、親類縁者とも仲良くなってしまい、いつしか入籍の運びとなった。
――なんかもう、俺が貰ってやらなきゃいかんって気もしてきたしな……
恋人がある日突然28人の恋人たちになるなんて、1人の恋人も持ったことがない僕からしたら憧れの花びら大回転なのだが、先輩の様子から推し量 るとかなり厄介なものであるらしい。
ティルティ・テイル
「このサイトに繋いでいると、照明が切れやすくなるんです」
ほかにもコーヒーサーバから白湯が出たり、シュレッダーの「クズを捨ててください」に当たったり、
「……世界を呪いたくなってくるんです」
つぶやく僕の頭上では、照明の点滅の滅の時間がいや増して、闇が光を凌ぎゆく。レトリバー君たちは低い唸りを上げはじめた。鼻に敵意の皺が寄り、つぶらだった目は三角に吊り上る。
「やばいやつだろ、これ!」
先輩がバン!とノートパソコンを閉じ合わせた。
「……閉じてももう遅いです」
画面とキーボードに挟まれた手がめちゃ痛くはあるものの、余裕の口ぶりで僕は告げる。
「すでにファイル共有サイトにアプリを流し済みなんですよ」
社内コンペに落ちたとき、衝動的にリリースしてしまったのであった。コピーが世界じゅうに出回るのも時間の問題だ。
「おまえ……」
先輩が絶句する。沈黙の中、風に木々が軋む音がした。テレビは引き続き台風情報を伝えている。お天気カメラが数多の都市を映し出し、家路を急ぐ善男善女をハンディカメラが中継する。そして衛星画像では、列島はもとより周囲の大陸や島々ごと、天のカメラがグローバルに捉えていた。
「……ことの重大さを分かってんのかよ」
先輩が、テレビ画面と床のクレーターとを交互に泳ぎ見る。
僕はこくりと頷いた。
人も街もグローバルも、
「みんな凹んでしまえばいいんです」
照明は完全に落ち、僕の手を噛むパソコンのブルーライトがあたりを蒼く染め上げた。窓に雷火が一閃し、雷鳴とどろき闇を裂く。奥さんが悲鳴を上げているけれど、それもやっぱりピヨピヨなので、うっかり高原でロケしてしまったホラー映画のようである。
「バッドエンドですよ、ははははは!」
草冠の鬼
屈んで診れば絶え絶えの息が口から漏れている。
「こいつはいけねえ」
活を入れんと私が手を伸ばすと、
「いけません!」
おかみの喝が飛んできた。
「山忠さんじゃあ、とどめを刺しちゃうわ!」
あんまりな言われようだが、たしかに私の活法は骨までへし折るオッチョコチョイ式、女相手では逆に殺法になりかねぬ 。とはいえ、活殺の本職である柔のやつらは追っ払ってしまったし、他の客が心得ありと乗り出す気配もまるでない。ままよと私が袖をまくり上げ、おかみが悲嘆にくずおれかけたとき、
「拝見」
不意に上から声がした。
続いて、声の主が、私の横にすうと膝をついてきた。
銀鼠色の洋装の、白髪まじりの紳士である。
瀟洒な見てくれに似合わず大胆に、紳士は女給のエプロンを胸までガバとめくりあげた。
「やはり」
紳士は腰に下げた胴乱から、銀色の小さな撥(ばち)のようなものを手に取った。慣れた手つきでひと振りすれば、猫の爪のごとくに立つ白刃(はくじん)。舶来品のナイフとやらである。紳士はそれで躊躇なく、女給の帯やら帯締めやら伊達締(だてじめ)やらを断ち始める。何締なのだかわからぬ 最後の紐が切れたとたん、どうと合わせが爆(は)ぜ割れて、両乳と乳より太い三段腹が飛び出した。
「うわ!」
私も帝大生らも思わず息を呑む。いっぽう女給は「ふう」と息を吹き返した。
「締めすぎです」
静かに紳士は言い渡し、女給のエプロンをゆるりと下げ戻した。気付いた女給は「キャア」と身をよじり、店の奥へと駆けてゆく。走りっぷりはまさに脱兎の俊敏さ、
「いやはや、水と女に常形(じょうけい)なしだな」